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大阪地方裁判所 昭和42年(ヨ)1874号 判決 1969年12月26日

申請人

吉村安弘

申請人

保母淳子

右両名代理人

佐藤哲

(外一八名)

被申請人

株式会社

日中旅行社

右代表者

菅沼不二男

代理人

平岩新吾

主文

被申請人は、本案判決確定に至るまで、申請人らをいずれもその従業員として仮に取扱い、かつ昭和四二年三月二七日から、申請人吉村安弘に対しては一カ月金二万五、七三二円の、申請人保母淳子に対しては一カ月金二万五、五〇八円の各割合による金員をいずれも前月二一日から当月二〇日までの分につき毎月二五日限り仮に支払え。

申請人らのその余の申請をいずれも却下する。

訴訟費用は被申請人の負担とする。

事実

第一、当事者双方の求める裁判

一、申請人ら

被申請人(以下、会社ともいう。)は、本案判決確定に至るまで、申請人らをその従業員として仮に取扱い、かつ昭和四二年三月二七日から、申請人吉村に対しては一カ月につき金二万九、〇七二円を、申請人保母に対しては一カ月につき金二万七、四七七円を、いずれも毎月二五日限り仮に支払え。

二、被申請人

申請人らの申請をいずれも却下する。<以下略>

理由

一本件会社が昭和三九年四月二五日から同月二七日までの間に開催の日中友好協会第一回全国大会における、「日中両国民間の貿易、経済、文化の交流を発展させ相互理解を深め日中友好をより増進させるために訪中友好視察団の旅行斡旋、団体、個人の訪中斡旋を行うことを目的として旅行社をつくる。」旨の決定に基づき同年九月一一日に設立された株式会社で、肩書地に本店を、昭和四〇年六月一日以降大阪市北区梅ケ枝町一一七番地大興ビル内に関西営業所を置いてきたものであり、申請人吉村が昭和四一年二月一四日会社に雇用され同年四月一日正社員となり同年七月一日以降関西営業所に勤務して主に渡航手続業務に従事し、申請人保母が昭和四〇年一一月一日同社にアルバイトとして雇用され昭和四一年四月一日正社員となり少くとも同年七月一日以降同営業所に勤務して総務、渡航手続、募集等の義務に従事していた者であることは当事者間に争いがない。

二また会社が昭和四二年三月二六日付内容証明郵便を以て申請人らに対し、「経営不振に加え、関西国貿促から関西営業所について渡航斡旋業者の指定を取消され、今後同営業所において中国渡航斡旋業務を取扱うことが事実上不可能となつたので同営業所を昭和四二年三月二六日限り閉鎖することを決定し、営業所長藤尾昭をはじめ所員である申請人らおよび今井梅乃の全所員を同日解雇する。」旨の意思表示をなすとともに予告手当名下に金二万三、〇〇〇円を送付し、同月二七日以降申請人らの就労を拒否し、かつ賃金を支払わないことも当事者間に争いがない。

三申請人らは右解雇の無効を主張するので、その無効理由について判断する。

(一)日中友好協会の設立と運動経過および本件会社の設立

<証拠>ならびに弁論の全趣旨を総合すると次の事実を認めることができる。日中友好協会は昭和二四年一〇月一日に中華人民共和国が建国されたことを契機に、日本国民の誤つた中国観を反省しその是正に努力すること、日中両国民の相互理解と協力をうち立てて文化交流に努力すること、日中両国民の友好提携によつて相互の安定と平和を図り世界の平和に貢献すること等を目的とし一党一派に偏せず、また階級、職業、政治的信条を問わず会員になり得るものとしてその設立が準備され、昭和二五年一〇月一日に設立され、全面講和、日中貿易の促進、文化学術の交流に積極的にとり組み日中関係は国交未回復のまま民間ベースにおいて注目すべき進展を示したが、政府の中国政策の対米追従の強化によつて日中関係は悪化し貿易も一時中断した。その後昭和三七年に至り中国側から、中国を敵視しないこと、二つの中国をつくり出す陰謀に加担しないこと、日中国交の回復を妨げないこと、といういわゆる政治三原則とこの立場に立つた貿易三原則(政府協定、民間契約、個別的配慮)および政経不可分の原則を承認する友好的な貿易商社による日中貿易の再開が提唱されたことから、日中友好協会をはじめ日中貿易促進会、日本国際貿易促進会、関西国貿促等において右諸原則を承認するいわゆる友好商社を中国国除貿易促進委員会に紹介し、右商社によつて友好貿易という形で日中貿易が再開され、これが次第に発展するとともに、これと並行して日中友好協会長廖承志と高碕達之助との間において日中間の貿易協定が締結されることによつていわゆる貿易が開始され、右各貿易はいずれも順調にその規模を拡大した結果、その貿易総額は年間六億ドルを超え、貿易高による相手国順位では米、加、豪に次いで第四位となるまでに至つた。しかしながら日中間の国交回復については何ら具体的な進展もなく経過する間、昭和三九年一月中仏間に国交が樹立するに及んで、にわかに日中間の国交回復を求める声が高くなり、同年二月一三日本邦各界の知名人である二五氏(海野晋吉、大内兵衛、太田薫、大谷螢潤、大山柳子、大西良慶、片山哲、亀井勝一郎、河上丈太郎、河崎なつ、久布白落実、坂田昌一、白石凡、末川博、谷川徹三、千田是也、竹花勇吉、中島健蔵、南原繁、野坂参三八百板正、平塚常次郎、平野義太郎、松本清張、松本治一郎)によつて日中各階層に対し、中国との国交を即時回復して貿易、経済、文化の交流を拡大すること日台条約を破棄し台湾との不正常な関係を清算すること、中華人民共和国の国連における正常な地位の回復のために努力することを日本政府に対し要求するために広範な運動を展開するよう呼びかけがなされ、これに副つて日中友好協会の第一四回全国大会において同年度の運動方針が決定され、希望者が容易にまた友好的に中国を訪問することができ、両国間の交流を盛んにするための旅行斡旋の組織として本件会社が設立された。以上の事実を認めることができる。

(二)日中友好協会の分裂

<証拠>ならびに弁論の全趣旨を総合すると次の事実を認めることができる。中華人民共和国においては昭和四〇年頃から国の基本路線に重大な変更があり、対内対外の両面に亘り自らの路線に反する勢力に対しては厳しく対決する方針をとることとなつた。日本共産党は昭和四一年二月書記長宮本顕治を団長とする使節団を中国に派遣したが、同年四月初めその帰国後、同国の新路線による対日政策は自主、平等、互恵、相互不干渉の原則に反する大国主義の誤りを犯しているので、右原則に立つ同党としては従来どおりの同国との関係を維持することは不可能であるとして、その方針の決定的な変更をなし、党本部支部の建物から毛沢東の肖像を撤去し、中国映画の上映禁上、中国関係雑誌(人民中国、中国画報北京周報等)の購読禁止をするほか、既に前年度に引続いて実施準備中の第二次日中青年大交流については、その招請状に現代修正主義との戦いという政治課題が付されていたところから、これは自国の政治路線をわが国の民主運動に押しつける手段に利用しようとしている動きが明白であるとし、当面党としてはベトナム戦争反対闘争など日本の平和、独立、民主主義を守る戦いの緊迫した情勢の中で果さなければならない任務があるとの理由を以て傘下の民主青年同盟員の不参加を決定してこれを表明した。中国は右決定に対しては当然厳しくこれを非難してきたのであるが、このことから同党は右日中青年大交流の実施についてはもとよりその他日中間の諸種の交流往来についてもかなり積極的に妨害活動をするに至つた。そしてこのような同党と中国との間の対立は日中友好運動の中に二つの流れを生ぜしめたのであるが、更にこのことが契機で原水爆禁止国民協議会、日本アジアアフリカ連帯委員会、日本ジャーナリスト会議、宗教者平和懇話会、大阪中小企業同友会等の諸団体内においても日本共産党派と反日本共産党派とのイデオロギーの対立を生じ右二派による抗争を惹起した。このような動きの中で、これが現実の日中関係を単に悪化させるにとどまらず日米反動勢力を助長しその反中国政策に手をかしアジアの平和と解放を妨げひいてはわが国の将来を危くするとの考えに立つわが国各界の知名人三二氏(岩井章、伊藤武雄、海野晋吉、太田薫、大谷螢潤、大内兵衛、兼田富太郎亀井勝一郎、河崎なつ、木村伊兵衛、黒田寿男、金子二郎、小林義雄、小林雄一佐々木更三、坂本徳松、白石凡、末川博杉村春子、千田是也、高野実、田中寿美子、土岐善麿、中島健蔵、原彪、堀井利勝、深尾須磨子、牧野内武人、松岡洋子宮崎世民、三島一、久布白落実)は昭和四一年九月二六日「内外の危機に際し再び日中友好の促進を国民に訴える」という標題の下にいわゆる日中友好について、「日中友好のとりでを守り広げていくことは日中両国人民の利益だけでなくベトナム人民に対する大きな支援となりアジアの平和と解放にとつて重大な貢献となること、その運動はこれまで以上に厳しくなりアメリカ政府に追従する勢力が妨害、圧迫を強めてくると同時に運動の内部にも既にさまざまな口実を設けて友好発展を妨げようとする傾向が生じているが、右傾向は米日反動勢力を喜ばせその反中国政策に手をかすものにほかならないこと、その運動はどのような圧力にも屈せず策謀にも欺されず、またどのような妨害にもかかわらずますます発展していく歴史の流れであること」等日本共産党の日中友好に対する態度を正面から非難する見解を表明したうえ、各層各界の国民に対し右見解に従つて日中友好運動を前進させるように訴える旨の呼びかけをなし(右呼びかけのなされた事実は当事者間に争いがない。)、これに対応して中国側では同年一〇月五日各界人士および人民団体責任者ら五二氏によつて右呼びかけの趣旨を支持する旨の声明がなされた。日中友好協会は同月一日の中華人民共和国成立一七周年の国慶節を祝賀するため訪中代表団を派遣することになつたのであるが、その際中国において日中友好協会代表団と右「三二氏の呼びかけ」の線に副つた共同声明を出すことについては出発前の同年九月二七日の常務会において討議を終え、圧倒的多数を以てこれを可決していたので、黒田寿男、宮崎世民、大森真一郎、三好一、足立梅市、今井長二郎、野村芳郎、松本勲、樺山秀一、橋本信一らを以て構成する右代表団は同年一〇月一二日北京において前記廖承志ほか九名を以て構成する日中友好協会代表団との共同声明に調印した(右共同声明調印の事実は当事者間に争いがない。)。そして右共同声明は、「中国の文化大革命は中国人民が革命の正しい進路を保障するため長期に亘る革命途上避けることのできない重要な一過程であり、既にその明瞭な成果をあげつつあることについて双方十分に理解したこと、日中の友好交流は一貫して両国人民の共通の願望と利益に基づいて相互尊重、平等互恵、相互支援の立場から行つてきたしまた今後も行つていくものであり、これに対するさまざまな中傷と誹謗は根拠がなく日本の日中友好運動を内部から破壊しようとするものであることを双方一致して指摘したこと、日中両国人民のあらゆる分野における交流は相互理解を深め友好と団結を強めるために必要なものであり、また相互理解の深まりと友好と団結の強化は各分野での次の新な発展を促す力となるものであるから今後ますます各分野の交流を拡充発展させる必要があることを認め、したがつて日本側はあらゆる妨害を排除して第二回日中青年大交流に参加する日本青年の中国訪問の実現に努力し、中国側はこれを歓迎すること、双方は現在日本国内外においてさまざまな勢力が日中友好運動に対して陰に陽に妨害を加えている状況の下において日本側三二氏の呼びかけと中国側各界人士および人民団体責任者五二氏の声明の発表は重大な意義をもつものであることを双方確認したこと。」等日本共産党の対中国路線に反対しこれを明らかに非難するものであつた。右共同声明は同月二五日に開催の日中友好協会第一三回常任理事会においてその承認が求められるや、これを支持する者とこれに反対し日本共産党の対中国路線に同調する者との二派に分れて紛糾し、支持派は四三名と数の上では反対派一三名を大きく上回つたが、このような基本的な問題については多数決でことを決しても反対派を包含して組織を維持していくことはとうてい不可能だと判断したことから、反対派を排除し共同声明の線に副つて大同団結を企図して正統本部を結成し、ここに日中友好協会は分裂した。中国側の日中友好協会では同月二七日残存日中友好協会との関係を断ち、正統本部を支持する旨を宣明した。そしてこれに伴つて日中友好協会大阪府連合会においても同年一一月二七日に開催の常任理事会において二派に分裂し、会長金子二郎、副会長久保専治、理事長大塚有章、事務局長雨宮礼三その他の常任理事ら正統本部支持の者らによつて正統本部大阪府本部を組織した。以上の事実を認めることができる。

(三)  右分裂が会社に及ぼした影響

日中友好協会の分裂に伴い、会社の取締役会長大谷瑩潤、取締役社長菅沼不二男、常務取締役赤津益造、取締役大塚有章ら殆んどの取締役が正統本部に移り、会社も昭和四一年一〇月末の常務会で共同声明および正統本部を支持し日中友好協会とは一切の関係を断つことを決定したことは当事者間に争いがない。そして<証拠>および弁論の全趣旨を総合すると、右役員ら個人の行動はイデオロギーそのものによるものであつたが、会社の決定には右イデオロギーに加えて同社が国交未回復の状態において希望者が友好的に中国を訪問できるよう同国の国営企業である中国国際旅行社総社と特約を結び同国渡航についての斡旋業務を行つているところから、日中双方の友好協会代表団の間で調印発表された共同声明を会社の営業活動方針として採択し正統本部支持の立場をとることが企業存続のために不可欠の条件でおるとする現実的な考慮も大きく働いていた事実を認めることができる。

(四)  会社の正統本部支持が従業員に及ぼした影響

会社が、正統本部支持を決定した後、(1)昭和四一年一二月上旬申請人らを含む全従業員に対し業務命令として前記共同声明に関する所信についてレポートの提出を命じたこと、(2)関西営業所長藤尾昭において同月二六日申請人ら外一名の全所員に対し日中友好協会を脱会して正統本部に入会し登録の手続をとるように勧めたこと、(3)右藤尾において昭和四二年一月一一日申請人吉村に対し右登録を重ねて勧めたこと、(4)右藤尾において同年二月七日同営業所会議の席上、会社の基本方針として同営業所に正統本部の班をつくることを提唱したこと、等の事実はいずれも当事者間に争いがなく、<証拠>によると、正統本部大阪府本部事務局伊福恭四郎が同年一月九日関西営業所において申請人ら外一名の全所員に対し右登録申込用紙を交付して登録を促した事実を認めることができる。そして右各事実を総合すると、会社は日中友好協会との関係を断ち正統本部の支持を決めて後、全従業員に対して会社と同じく正続本部を支持しこれに登録するようかなり強力に働きかけていた事実を認めることができる。

(五)  前記分裂後の申請人らの態度

申請人吉村が大塚有章の推薦によつて会社に入社したことは当事者間に争いがなく、<証拠>を総合すると、申請人保母も大塚の推薦で会社に入社した者であり、大塚は会社の取締役であるだけでなく、分裂前の日中友好協会大阪府連合会理事長、同協会で設立した日中友好学院長で、分裂後は正統本部に所属する者であつて、申請人らはいずれも昭和三七年四月日中友好協会に入会し、右日中友好学院の普通部および高等部に学んで大塚の教育を受けた者であるが、日中友好協会の分裂に当つては、大塚との特別な関係にもかかわらず、正統本部に移ることなく日中友好協会に残留し、前記のとおり、会社からしばしば同協会を脱退した正統本部に加入するよう勧められたがこれに応じなかつた事実を認めることができる。

(六)会社の申請人らに対する正統本部入会の要請

1<証拠>を総合すると、会社の営業担当の赤津常務は昭和四二年二月二〇日関西営業所を訪れ、申請人吉村を伴つて同所が渡航斡旋業務を行つていた関西国貿促の友好商社部会訪中代表団に渡航事務手続を説明するため関西国貿促に赴きその団員総会に出席して右用件を終えた後、同申請人とは別途同営業所に帰つたのであるが、同日午後五時頃から数時間に亘つて申請人らに対し、まず同人らが未だ日中友好協会に残留している事実を確認したうえ(右確認の事実は当事者間に争いがない。)、同協会は表面では日中友好を唱えながら裏面では反中国活動を行つて日中友好を妨害し、日中友好を経営の基本方針とする会社を侮辱している組織であり、会社にとつて日中友好はその存立にかかわるものであるから、この点をよく理解して早急に同協会を脱会することを希望するが、そうでないと会社としては放置できないので申請人らに対する措置について結論を出さざるを得ない旨言明した事実を認めることができる。

2前顕各疎明によると、会社の関西営業所担当の取締役でありかつ正統本部大阪府本部理事長、日中友好学院長である大塚有章は翌二一日赤津常務とともに同営業所を訪れ、まず同人に席を外させたうえ申請人らに対し、日中友好学院の院長として教え子である申請人らに話すものである旨前置きして、日中友好を志す者として日中友好協会に入つているのは誤りであるから、よく考えて正統本部に入るように勧め、もし入らなければこれが申請人らと話合う最後の機会となるとして説得したが、これに対し申請人らは、日中友好協会に入つているのは入社以前からのことであり、また会社の業務にはその方針に従つて忠実に働いているので、そのことでとかく言われる道理はない旨答えたところ、大塚は色をなして席を立ち、次いで赤津がこれに引続いて申請人らに対し先に申請人らは共同声明を支持する旨のレポートを出しながら、右声明に反対の立場をとつている日中友好協会の会員であることは矛盾するのではないかと質したうえ、右大塚の話および前日の自分の話についての見解をレポートにして翌二二日に提出するように命じたところ(右レポート提出命令の事実は当事者間に争いがない。)、これに対し申請人らは、「赤準、大塚らの述べた政治的見解については従業員として見解を述べる必要はないものと考える。従業員がどのような会に加入していようとそれは自由であるが、会社の営業方針には異議なく従つて業務を遂行する。」旨、会社と日中友好についての考え方が異なることを認めたうえ、それとは別に具体的な会社の業務については支障なくこれを行う意思のあることを記載したレポートをそれぞれ提出した事実を認めることができる。

3<証拠>を総合すると、赤津常務は同年三月二日午後二時頃関西営業所を訪れたうえ、全所員の集合を命じ、たまたま社用のため神戸市内に赴いていた申請人吉村については連絡して呼び戻し、同日午後三時頃から申請人らおよび今井梅乃に対し業務命令を申渡した事実を認めることができる。そして右命令が大塚ら数名立会いの下に行われ、その内容が、(1)直ちに各自担当業務を営業所長に引継ぐこと、(2)引継が完了次第自宅で「三二氏の呼びかけ」および共同声明を学習するため休職を命ずること、(3)学習の結果はレポートにして同月一〇日までに郵送すること、(4)レポートを検討したうえ常務会で出す指示に従うこと等を内容とするものであつたことは当事者間に争いがない。

以上の各事実を総合すると、会社は正統本部成立後同本部への入会を全従業員に対し一般的に勧誘していたのと異なり、昭和四二年二月二〇日以降は申請人らに対し、個別的に、強力に、しかも拒否するとさは解雇に至ることが予想できる方法で右入会を強く要請している事実を認めることができる。

(四) 右要請に対する申請人らの態度

1<証拠>を総合すると、申請人らは日中友好協会の分裂とそれに伴つて会社内部に起つてきた既に認定の諸般の状況から自らが同協会にとどまる以上会社との間に諸種の紛争は避けられず、ひいては従業員としての権利を侵害されるような事態になることもあり得ると判断したことから、昭和四二年一月初め大阪商業労働組合に加入していたのであるが、前記同年二月二〇日、二一日の会社の申請人らに対する強い態度からして近く申請人らに対して解雇が行われることも十分予測されたため、一応弁護士に相談しておくべきであると考え、同月二三日頃申請人保母が右組合の委員長山崎正彦とともに申請人らの本件代理人である佐藤弁護士の事務所を訪れ同弁護士とその対策について協議した事実を認めることができる。

2 前記(六)の3のとおり、申請人らは同年三月二日赤津常務から教育休職ともいうべき業務命令を受けたのであるが、<証拠>を総合すると、申請人らは、当時の日中友好に関する二つのイデオロギーの尖鋭的な対立という状況を背景に右命令を考えるとき、申請人らにおいてイデオロギーの変更を肯じない限り、これを前提として解雇処分の行われることは必至であると考えたため、右命令を受けた後直ちに前記労働組合に連絡して善処を求めたところ、間もなくして委員長山崎が十数名の組合員とともに関西営業所を訪れ、赤津常務との団体交渉を要求したが、同人が不在であつたため所長の藤尾に対してその要求書を交付して約二時間後に引き揚げ、翌三日再び組合員約七〇名位を動員して同営業所を訪れて団体交渉を申入れ、同日午前一〇時頃から深夜にかけて赤津と話合つた結果、結論は後日の団体交渉に委ねることとし、とりあえず会社は申請人らに対して休職期間中も任意の就労を認めることとしたのであるが、その間右組合員らの中には正統本部から訪れた前記伊福恭四郎が同営業所の中に入るのを妨げたり、また交渉が深夜に及ぶや布団数組を運び込み同営業所の一部を占拠して長期交渉の構えを示すなどかなり険悪な雰囲気となつた事実を認めることができる。

3 申請人らおよび前記組合の幹部が同月七日赤津常務らと団体交渉したことは当事者間に争いがなく、前顕各疎明によると、右団体交渉は午後一時頃から同五時頃までの間大阪府立労働会館で行われたのであるが、組合側は約三〇名の組合員を動員し、当初会社側の参加者として訪れた前記伊福恭四郎を実力で排除し、一方会社側では組合に対し交渉員を限定して多数の応援の組合員の退場を求めるなど騒然とした雰囲気の中で団体交渉が開始された後、赤津は申請人らに対する休職中は賃金を全額支給する旨を約したうえ(この事実は当事者間に争いがない。)、同人らを教育休職にする理由について、同人らは会社の方針に従うと言いながら日中友好協会員であるが、このことによつて会社の存立が脅かされ客に不安を与えているので、会社の営業方針、真の日中友好、中国事情等について更に勉強してもらうためである旨言明したのに対し、申請人らおよび組合側はそれが不当であることをして会社側と激しく応酬したが、結論をみぬままに当日の団体交渉を終えた事実を認めることができる。

4 申請人らおよび前記組合の幹部が同月一四日赤津常務らと更に団体交渉をしたことは当事者間に争いがなく、<証拠>を総合すると、右団体交渉は午後一時頃から同四時半頃までの間前同様大阪府立労働会館で行われたのであるが、このときも組合側は多数の組合員を動員しており、かなり緊迫した雰囲気の中で行われた事実が認められ、その交渉の結果赤津において休職中の学習テキストは共同声明、日中両国人民の友好貿易促進に関する議定書、中国通信等であるとしたことは当事者間に争いがなく、したがつて教育休職によつて申請人らに要求するイデオロギーが正統本部のそれであることを団体交渉の席上で認めたほか、前顕各疎明(但し、<証拠>については後記信用しない部分を除く。)によると、右団体交渉の結果、赤津において関西営業所は今後とも閉鎖しないように努力する旨を約しただけで、紛争解決への具体的な進展はみられず、日を改めて続行することとなつたが、ただ従来の経過からみると、組合側は多数の組合員を動員しており、かつことの成り行き次第では何時組合員による営業所の占拠や会社役員に対する有形無形の圧迫が加えられかねない状況にあつたし、一方正統本部支持を決した企業内においては日中友好協会支持の従業員に対する実力による追放行為がしばしば行われており、会社も申請人らを実力で企業外に排除する恐れがないとはいえなかつたため、双方この紛争が何らかの形で解決するまでは一切の暴力を使わないことを約した事実を認めることができ、次回の団体交渉を同月二八日に開くことを申し合せたことは当事者間に争いがない。申請人らはこの際、赤津において申請人らの労働条件、身分に著しい変更を行う場合には予め組合と協議することを約した旨主張するが、前顕各疎明によると、組合から赤津に対して右約束の要求はかなり執拗になされたが、結局同人は言葉を濁してこれに応じなかつた事実を認めることができるのであつて、<証拠>には右認定に反して申請人らの主張事実に副う部分があるが、右は前顕各疎明に照らしたやすく信用できない。

以上の各事実を総合すると、会社の申請人らに対する正統本部入会の要請については、申請人においてたやすくこれに応じないばかりか、むしろ組合の応援を得てその撤回を求める行動に出、交渉を重ねたが互に譲らず、早急に解決の見通しもたたず、またことと次第によつては双方実力行使が予想されるような事態にまで発展した事実を認めることができる。

(八) 右状況後の会社の行動

1  <証拠>を総合すると、会社はその後関西営業所の閉鎖とこれに基づく申請人らを含む全所員の解雇を決定し、赤津常務に対し右閉鎖を命じたので、同人は同年三月二五日下阪して同営業所に赴き同所において藤尾所長に対し右閉鎖の決定を告げ、同日夕刻同人をしてその事務所の賃貸借契約を合意解除するため委任状を携えてその賃貸人である大興ビルの管理人方に赴かせ、右契約を合意解除して敷金一三〇万円を受領してこれを持ち帰らせたうえ、同事務所から一切の備品什器を運び出してこれを賃貸人に対し明渡した事実を認めることができる。そして<証拠>には右認定に反する部分があるが、右は前顕各疎明に照らし信用できない。

2  会社は翌二六日関西営業所を閉鎖するとともに、申請人らを含む全所員を解雇しており、右事実は当事者間に争いがない。

3  <証拠>によると、会社は前記閉鎖と同時に同日付の「関西営業所の閉鎖にあたつてのお詑びとご挨拶」と題する印刷文を関係方面に配布し、同年四月二六日旅行斡旋業法に基づき陸運局長に対し同営業所廃止の届出をした事実を認めることができる。

以上の各事実を総合すると、会社は申請人らおよびその所属組合の幹部と申請人らのことについて団体交渉を継続中、交渉妥結の余地は全くないものと判断したことから、申請人らおよび右組合に隠密裡にしかも周到な準備の下に関西営業所を閉鎖して申請人らを解雇した事実を認めることができる。

(九) 本件解雇の原因

以上認定の各事実を更に総合すると次の事実を認めることができる。会社はその成立の経緯からして日中友好の基礎に立つ企業で、しかも現実に日中間に交流がなければその存立を全うし得ないところから、日中友好に関するイデオロギーの相違による日中友好協会の分裂に当つては、そのイデオロギー自体による選択に加えて、より現実的な観点からともかく実際に日中間の交流を可能にする正統本部の支持に決したものと認められるのであるが、右分裂後は正統本部と日中友好協会ないしは日本共産党との間において次第に対立抗争が激化し、双方とも相手方に対する非難、攻撃を繰り返し、憎悪を増大させて行つたところから、会社自体の心情としても、また密接な繋りのある正統本部およびこれを支持する友好商社その他の諸団体に対する関係からしても、従業員の中に日中友好協会員ないし日本共産党員がいることについてはこれを放任できない状態となつたので、当初全従業員に対し比較的穏和な方法で正統本部への入会を勧誘していたのとは異なり、同協会に所属して同党員でありしかも容易にその立場を変えない申請人らに対しては、右各所属団体を離れて正統本部に入会するよう強く要求することとなつたのに対し、同人らにおいてこれに応ずる気配が全くないのでやむなくその解雇を考慮中のところ、同人らが労働組合にその解決を委ねたこともあつて、たやすく解雇もできない状況となつたので、同人らを解雇し、しかも組合の攻撃をかわす方法として、関西国貿促の関西営業所に対する渡航斡旋業者としての指定取消を好機に、同営業所を閉鎖しこれを理由に解雇することとしてその実行をしたものと認めることができる。してみると右営業所の閉鎖は申請人らの解雇を容易ならしめる手段としてなされたものであり、右閉鎖までして申請人らを会社から排除しようとした目的は同人らが会社と敵対関係にある日中友好協会および日本共産党に所属しその政治的信条に同調したことにあるものというべく、これを要するに同人らの政治的信条によつて同人らを差別して解雇したものと認めることができる。

四被申請人は申請人ら主張の本件解雇の無効理由について反対事実の主張をするので、この点について判断する。

(一)  関西国貿促の関西営業所に対する渡航斡旋業者としての指定取消

被申請人は、関西国貿促が関西営業所に対する渡航斡旋業者としての指定を取消したので、同営業所を閉鎖せさるを得なくなり、申請人らを本店に配置転換することもできない事情があつたので同人らを解雇した旨主張するので、まず右指定取消の実情について検討する。

1  <証拠>ならびに弁論の全趣旨を総合すると関西国貿促成立の経緯と業務内容およびその日中友好協会分裂後の行動等について次の事実を認めることができる。関西国貿促は昭和二九年九月日本国際貿易促進協会とは別に、中国、ソ連、北朝鮮、北ベトナムおよび東欧諸国等共産圏諸国との間の貿易上諸障害を除去してその間に平等互恵を原則とする友好的な貿易を促進することを目的として設立されたいわゆる権利能力のない社団で関西地区を中心に、主として国際貿易振興のためこれを阻害している諸問題の解決および前記共産圏諸国との間の貿易の仲介斡旋、貿易経済代表の派遣、受入その他の業務を行つてきたが、ソ連貿易等については漸次ソ連東欧貿易会にその業務が移り、主として中国貿易関係についての業務を行うようになり、その後日中間においていわゆる友好貿易が開始されてからは、日本国際貿易促進協会、日中友好促進会とともに、右友好貿易を担当する日本側のいわゆる友好商社を中国国際貿易促進委員会に紹介する業務を取扱い、事実上右日本側貿易促進二団体とともに日中貿易を希望する日本側商社についてそのいわゆる友好性についての資格審査権を有し、日中友好貿易の実施に関し主要な役割を果してきた。元来、関西国貿促は政党政派にかかわりなく中国との友好的な貿易を望む者をその会員とするもので、事実、日中貿易を望む関西の大手企業は殆んど洩れなくその会員となつていたが、ただ日中貿易は中国との関係でいわゆる政治三原則、貿易三原則および政経不可分の原則を承認する前記友好商社でなければこれを行うことができず、対米関係その他各種の事情から右諸原則を公然と承認できない大手の企業についてはダミーと称する身代わり商社をつくりこれによつて右貿易を行つている状況から、勢い日中友好協会とは密接な関係にあり、右協会の分裂後は現実に中国との交流を行いその接触を保つことのできる正統本部の支持を明らかにし、特にその友好商社部会の常任理事会の会員は日中友好に関するイデオロギー自体のほかに、日中貿易を維持発展させるという現実的な必要もあつて熱烈な正統本部の支持者で、日中友好協会および日本共産党に対しては激しい敵意を抱き、友好商社の中でも正統本部を支持しない者はもとより旗幟を鮮明にしない者についてもその中国国際貿易促進委員会への紹介をとりやめるように働きかけて、対中国貿易を不能にするなどの措置をとつてきた。以上の事実を認めることができる。

2  既に認定の三の(六)の12の事実に、<証拠>を併わせ考えると、関西国貿促が関西営業所に対する渡航斡旋業者としての指定を取消した事情として次の事実を認めることができる。関西国貿促はその所属商社等の中国への業務渡航、視察団の渡航等については関西営業所設置以来主として同所にその斡旋業務を依頼しており、昭和四二年に入つてからはその友好商社部会の訪中代表団と春季広州交易会参加者の各渡航斡旋を依頼していたのであるが、同年二月二〇日右訪中代表団の結団式後団員総会が行われた際、団員である友好商社員の中から昭和四一年度の日中青年大交流に参加予定の日中友好学院代表団および関西各界青年代表団の渡航申込者の名簿が関西営業所から日本共産党大阪府委員会に洩れていることを問題とし、このようなことが起こるについては同営業所内に日本共産党および日中友好協会に属する申請人らがいることが原因であるから、右状態にある同営業所に渡航の斡旋業務を委ねるべきではないとの意見が出され、右意見が大勢を占めたので、たまたま右団員総会に出席していた赤津常務に対して申請人らの善処を要望し、同人らが従来の態度を変えないなら、少くとも同団の渡航斡旋業務は同営業所に委ねるべきではないとの結論に達した(但し、<証拠>によると、右名簿は昭和四一年八月頃日本共産党大阪府委員会統一戦線部員吉田哲也が申請人らの不在中に同営業所を訪れた際、机の上にあつた右名簿を写して帰つたことによつて同党に洩れたのであるが、当時はまだ日中友好協会の分裂前で吉田は同協会大阪府連合会の事務局員でもあつたところから、申請人らが同営業所に勤務していたこととはかかわりなく、同所をしばしば訪れていたのであるから、右名簿の漏洩については申請人らに何らの責任もない事実を認めることができる。)。そこで赤津は既に三の(六)の12で述べたとおり、直ちに同営業所において申請人らに対し日中友好協会を脱会して正統本部に入会するように強く説得し、更に翌日大塚取締役も加わつて右説得を続けたがその効なく日時を経過する間、前記友好商社員の中において、もはや関西国貿促としては同営業所に対して渡航斡旋の業務を扱わせるべきでなく、差当つて友好商社部会の訪中代表団の渡航斡旋の依頼はこれを取消すべきであるとする強硬意見が出されてきたので、関西国貿促では昭和四二年二月二七日頃友好商社部会の常任理事会を開催して討議した結果、申請人らが日中友好協会に残留し日本共産党に籍を置く以上同営業所に関しては渡航斡旋業者としての指定を続けることはできないとの理由でこれを取消すべきであるということになり、関西国貿促は右常任理事会の決定に基づいて右指定を取消すこととなつた。そして<証拠>によると、関西国貿促は同年三月一日会社に対し、「関西営業所職員の中の三名は口では日中友好を唱えながら実際には日中友好の発展を妨害し日中関係を破壊している反中国団体のいわゆる日中友好協会なるものに属し反中国活動を積極的に推進している立場に立つているので当方会員および利用者に不安を与えている。日中友好の増進と日中貿易促進の事業を推し進めている当方としては、このような状態にある関西営業所に対して中国への渡航業務を委ねることはできないので、今後中国への渡航業務取扱業者としての推薦指定を関西営業所に限つて取消す。」旨の通知をなし、これが同月三日会社に到達した事実を認めることができる。

(二)  右指定取消の関西営業所に及ぼした影響

被申請人は、右指定取消により関西営業所を閉鎖せざるを得なくなつた旨主張するので、次に右指定取消が同営業所に及ぼした影響について検討する。

1  <証拠>を総合すると、関西営業所が昭和四〇年六月一日の開設から昭和四二年三月二六日の閉鎖までの間に取扱つた業務の内容は、まず旅客別にみて参観団客と渡航手続客とに二分され、前者は六二名、後者は一六九名であるが、うち関西国貿促関係の客は前者で一六名、後者で一四一名の合計一五七名で全体の約六八パーセントを占め、これを営業収益の面からみると参観団客の方が渡航手続客より一人当りの利益率が約五倍も多いので、参観団客より渡航手続客の方が遙かに多い関西国貿促関係の客についてはその収益の全体の収益に対する割合は右六八パーセントをかなり下回るが、それでも約五〇パーセントを占めており、しかも関西国貿促関係の客は毎年春秋の広州交易会の参加者や経済視察団等でその需要は安定し、しかも漸次増加の傾向にあつたものであるから、関西営業所にとつて関西国貿促関係の業務はかなり重要な部分を占めていた事実を認めることができる。

2  <証拠>を総合すると、関西国貿促の関西営業所に対する右指定取消により、同営業所はまず既に取扱中の関西国貿促友好商社部会の訪中代表団の渡航斡旋業務を取消され、取扱が決まつていた春季広州交易会参加者の渡航斡旋業務も取消され、また取扱予定の天津科器展参観団、友好商社部会参観団の各渡航斡旋業務も取扱不能となつたほか、昭和四二年度訪中業種別参観団の編成計画も実施不能となり、その結果同営業所の営業に相当な影響があつた事実を認めることができる。

3  しかしながら、<証拠>を総合すると、関西営業所は関西方面において中国渡航の斡旋業務や参観団の募集編成業務等を本店と地域を分けて担当する面もあつたが、他方中国渡航の手続については渡航者が関西以西に居住の場合、香港通過の査証は必ず大阪または神戸の英国領事館でとらねばならず、また旅券申請書に添付した写真と本人との照合確認が居住地の都道府県庁で行われるため、その各手続という全社的な業務の必要上関西方面に営業所の設置を余儀なくされていた事情もあるのであつて、同営業所は仮にそれ自体の集客という営業活動が十分に行われずそのことによる営業成績が赤字であつたとしても、ただそれだけでこれを廃止するというわけにはいかない事情にあつたものと認められる。もとより、右各疎明によると、同営業所自体の集客によつて営業成績の向上に努力していた事実はこれを窺うに十分であるが、そうだからといつて全体の約五〇パーセントの収益をもたらす旅客を提供してきたにすぎない関西国貿促の右指定取消によつて右事情にあつた同営業所を閉鎖しなければならない必然性はとうてい考えられない。このことは、<証拠>によると、同営業所は開設以来欠損を続け開設時である昭和四〇年六月から昭和四一年三月までの第一営業年度において会社全体で金四四四万九、三九八円の利益を挙げたのに対し金二六七万六、九六七円の損失を計上し、同年四月から昭和四二年三月までの第二営業年度において会社全体で金七万四、二五二円の利益を挙げたのに対し金二五八万八、四八〇円(右は全損失金二九二万一、五四七円から同営業所の閉鎖に伴う支出金三三万三、〇六七円を控除したもの)の損失を計上しており、したがつて同営業所自体としてはいかに開設初期の特殊事情にあつたとはいえ、会社全体の営業規模からすると相当大きな赤字を出しながらもなお会社全体の利益のためにこれを存続維持している事実が認められること、および<証拠>ならびに弁論の全趣旨を総合すると、関西営業所の閉鎖後昭和四二年九月中旬同営業所の所長藤尾昭が業務担当者となり日中観光という商号を以て本件会社発行の「新中国の旅」と題するパンフレットを店頭に備えて中国旅行斡旋業の営業活動を開始し、同年一一月一七日商号を株式会社関西国際旅行社とする会社を設立登記して現在に至つており、その設立の経緯実体等からすると同社は関西営業所の身代わり会社であるものと考えられ、またそのように関係者から見られることを避けられないのに、なお必要上これを設立発足させている事実が認められること(<証拠>中、右認定に反する部分は前顕各疎明に照らし使用できない。)等からしても裏付けられるものということができる。してみると、関西国貿促の右指定取消は関西営業所の営業にかなりの影響を及ぼすものであつたことは事実であるとしても、なおこれを閉鎖しなければならない程の影響があつたものとは認められない。

(三)  右指定取消と関西営業所閉鎖との関係

既に認定の(一)、(二)の事実に弁論の全趣旨を併わせて考えると、関西国貿促の本件指定取消と関西営業所の閉鎖との関係について次の事実を認めることができる。関西国貿促の友好商社部会の常任理事会では同じく正統本部を支持する本件会社の従業員の中に日中友好協会に残留し日本共産党に属する申請人らのいることを重視し、これを排除することを望んだが、会社の自主的な措置に期待していてはとうていその成果が挙がらないと考え、本件指定取消によつて会社に同営業所閉鎖の口実を与え、更に右閉鎖によつて申請人らを排除することを期待した。関西国貿促の友好商社部会の常任理事会は当時最も過激な正統本部支持者らが主導権を握り、所属の友好商社はもとよりその他の友好企業に対しても正統本部の絶対的な支持を要請し日中友好協会ないし日本共産党の排除を強力に求めていたため、会社に対しても当然右要求はなされたのであるが、会社を説得して申請人ら排除の途を講じさせるというような迂遠な方法をとることなく、極めて直截かつ高圧的に指定取消を行い、会社をしてその意図を察知して善処することを期待した。そこで会社は右指定取消によつて右友好商社部会常任理事会の意図を察知して関西営業所を閉鎖しこれを理由とする申請人らの解雇を行つたものと認めることができる。このことは、特に既に認定の関西国貿促と正統本部、同本部と本件会社との関係からしても考えられるところであり、また<証拠>によると、関西国貿促が関西営業所に対し中国渡航の斡旋業務を扱わせるについては事実その都度これを依頼しており、全般的な取扱業者としての指定などしていないものと認められるから、将来これをやめるとしても事実上その取扱をさせなければすむし、既に取扱中のものについても個々にその取扱依頼を取消せばたるのに、既に認定のとおり、ことさら指定取消の意思表示をしかも書面を送付してなしているところから窺われる右取消の作為的性質を以てしても十分に考えられるところである。結局会社は関西国貿促の右指定取消の意図を察知して関西営業所を閉鎖してこれを口実にして申請人らを解雇したもので、被申請人主張のように右指定取消によつてやむなく同営業所を閉鎖し申請人らを解雇したものとは解せられない。そして<証拠>中、右認定に反し被申請人の主張事実に副う部分は既に認定の(一)、(二)の事実および弁論の全趣旨に照らし信用できない。

そうだとすると、本件解雇の理由として既に認定した事実について、被申請人が反対事実として主張した点はこれを認めることができず、結局右認定を覆えすことはできない。

五以上、本件解雇は申請人らが日本共産党員として分裂後の日中友好協会を支持し、正統本部を支持する会社と異なる政治的信条を有することを理由になされたものということができるところ、申請人らはこのような解雇は憲法一四条、労基法三条に違反し公序良俗に反して無効である旨主張するのに対し、被申請人は仮に本件解雇が申請人らの主張のとおりの理由によつてなされたものであるとしても、それは政治的意見即ち個々の具体的な政治問題についての意見ないし主張の相違によつてなされたものであり、右政治的意見は憲法一四条、労基法三条所定の信条には含まれないので、これを理由に解雇しても右各法条に違反するものでなく、したがつて公序良俗違反の問題も起り得ないのであるから、右解雇は無効となるものではない旨主張するのでこの点について判断する。

(一)  日中友好運動について日本共産党の見解に立つ日中友好協会を支持するか、これと相対する見解に立つ正統本部を支持するかということが政治的信条の問題であることに疑いはない。そして政治的信条を実践的な志向の有無によつてこれを有しない世界観即ち政治的基本信念と、これを有する政治的意見とに分けられるものであるとすれば、本件はまさしく優れて実践的な志向を有するものであつて政治的意見の範囲に属するものである。しかして政治的信条が憲法一四条の信条に含まれるものであることはいうまでもないところ、被申請人は右政治的信条とは右にいう政治的基本信念を指すものであつて政治的意見は含まれない旨主張するのであるが、このような解釈にはたやすく賛同できない。元来信条であつても宗教的倫理的な信条についてはあくまで個人の内心の問題だけにとどまる場合も多いのであつて必ずしも実践的な志向を有するものではないであろうが、政治的信条はこれとは本質的に異なるのである。およそ政治的信条はそれが政治に関するものである以上、政治そのものの性質からして当然に国の具体的な政治の方向について実践的な志向を有するものであつて、これを有しない政治的信条などというものは、仮にあり得るとしてもそれは極めて例外に属するものである。そもそも憲法一四条の信条がすべて実践的な志向を持たない個人の内心の問題即ち宗教的倫理的な信念または世界観、人生観といつたものに限られるというのであれば格別、それが政治的信条を含むものであり、かつ右信条が原則として実践的な志向を有するものである以上当然右志向を有する政治的意見は憲法一四条の信条に含まれるものと解すべきものであり、右志向を有しない例外的なものに限つて憲法上の保障を与えようとすることは著しく合理性を欠く見解といわねばならない。被申請人は政治的意見が憲法一四条所定の信条に含まれそれによる差別的取扱が全面的に禁止されると解すると、特定の政治的立場をとる憲法体制はその政治的立場そのものを暴力で破壊しようとする政治的意見をもつ者を自らの存立を防衛するために国の統治組織から排除することさえできなくなるのであつてこれは憲法の自殺を要求することにほかならず極めて不条理である旨主張するのであるが、憲法一四条はたとえ被申請人主張のような政治的意見をもつ者であつても、それが内心の問題としてとどまる限りこれに対して差別的取扱をすることを禁止しているのであつて、それを外部に発表したりまたは実行に移すなどの行動がありそれによつて憲法またはその下に成立している統治組織に明白かつ現在の危害を生ぜしめたときに限りその具体的言動をとらえて憲法体制を防衛するために国の統治組織から排除できるものとしているものと解すべきであるから、政治的意見が憲法一四条の信条に含まれそれによる差別的取扱が禁止されると解しても、それによつて憲法の自殺を要求することにはならない。また被申請人は憲法一四条の直接適用を受ける公務員関係を律する国家公務員法二七条および地方公務員法一三条によると、信条と政治的意見とを区別し政治的意見については合理的な理由がある限りその差別を可能としており、右立法者の態度は憲法一四条に適合し是認されるべきである旨主張するのであるが、憲法の解釈をその立法の趣旨に従つてなし、これに則して法律の解釈をしてこそ正当であることろ、法律の立法者の態度を以て憲法の解釈の指針とすることは論理の転倒であつて右主張はこの点からして既に承服できない。しかも両公務員法の右各条によると、「国民はこの法律の適用について、平等に取り扱われ、人種、信条、性別、社会的身分、門地または政治的意見もしくは政治的所属関係によつて差別されてはならない」ものとされ、ただ「日本国憲法またはその下に成立した政府を暴力で破壊することを主張する政党その他の団体を結成しまたはこれに加入した者」については例外的に官職につく能力を否定して差別的取扱を認めているのであるが(国家公務員法三八条五号、地方公務員法一六条五号)、右例外の規定は政治的意見の一部について差別的取扱を認めているものではなく、それが政治的意見としての範囲を超えて前記性格の政党等を結成しまたはこれに加入するという具体的行動があつた場合にはじめてその団体等の性格からして行為者を国の統治組織に置くことは憲法またはその下に成立している統治組織にとつて明白かつ現在の危害を生ぜしめた場合に当るものとして排除を含む差別的取扱を認めているのであつて、未だ政治的意見の範囲内にある場合においてはその差別的取扱を許さないものであり、政治的意見も元来は信条の中に包含されるべきところ、右意見に基づく言動によつて前記明白かつ現在の危害を生ぜしめた場合の例外を定めているため、右意見が意見としての範囲内にある場合における差別的取扱の禁止を注意的にしているもので、これを信条とは別個のものとして規定しているものと解すべきでない。したがつて右各法条は政治的信条について先に判示した解釈に何ら抵触するものではない。以上を要するに憲法一四条の信条には国の具体的な政治の方向についての実践的な志向を有する政治的意見をも含むものであり、同条が直接に適用される公務員関係においても右政治的意見を有する者についてその意見の故に差別的取扱をすることを禁止しているものと解することができる。

(二)  労基法三条の規定は憲法一四条の定める法の下の平等の原理を私人間の関係としての労働関係に適用したもので、そこに規定された信条は憲法一四条所定の信条と同一で政治的意見を含むものであるから、使用者は労働者の政治的意見を理由として差別的取扱をしてはならないものと解すべきである。被申請人は憲法一四条の直接適用を受ける公務員関係を律する両公務員法にいう信条が政治的意見を含まないとすれば、それより一層強い理由を以て私人間の関係を律する労基法三条所定の信条には政治的意見を含まないと主張するが、両公務員法にいう信条に政治的意見を含まないと解し得ないことは既に判示したとおりであるから右主張はその前提を欠き正当でない。また仮にそのように解することができ、したがつて政治的意見による差別的取扱が国または公共団体と公務員との間の特別権力関係においては例外的にではあるが可能であるとしても、そのために私人間の労働関係においても政治的意見と信条とは別であつて右意見による差別的取扱が可能であるということになるものとは考えられない。右特別権力関係における例外は、同関係では私人間の労働関係と比べて政治との関連性が強く、政治的意見がその関係秩序に及ぼす影響も大きいものといえるので、それによる差別の必要を生ずる場合があるとしてその合理性が肯認されているものと解するほかはないから、仮にそうであるとしても、政治的意見の関係秩序に及ぼす影響が特別権力関係の場合と比較して本質的に少ない私人間の労働関係において同様に右意見による差別的取扱を認めることにはならず、ましてや差別的取扱がより可能だということになはらないものというべきである。両公務員法によると政治的意見による差別的取扱を禁ずる旨の規定があり、一方労基法三条には右規定のないことは被申請人主張のとおりであるが、既に(一)で述べたとおり、両公務員法については政治的意見が一定の具体的行動になつたとき差別的取扱が可能となる旨の例外規定があるところから一般的に政治的意見による差別的取扱禁止を定める必要があつたものと解されることからすると、単に右各法条の規定の形式からして私人間の労働関係において政治的意見が信条に含まれず、したがつて右意見による差別的取扱が可能だということにはならない。また私人間の労働関係において使用者と労働者との政治的意見が矛盾衝突した場合には双方の意見を尊重する方法として両者を隔離するほかはなく、そのためには労働者を解雇せざるを得ないから、右意見を信条に含まれるものとして右解雇を不能にすることは正当でないとする被申請人の主張は、労使の法律関係の特殊性を無視し当事者対等の市民法原理を以てことを決しようとする暴論であつて採用の限りでない。以上を要するに使用者が労働者の政治的意見を理由として差別的取扱をした場合には、それは労基法三条に違反し、そして右差別的取扱には当然に解雇を含むものであるから、右意見によつて解雇したとすれば、それは同条に違反し、かつ民法九〇条によつて無効ということができる。

以上のとおりだとすると、被申請人が申請人らを分裂後の日中友好協会を支持するという理由で解雇したものであるとすれば、それは同人らの政治的信条を理由とするもので、憲法一四条、労基法三条に違反し、公序良俗に反するものであるから民法九〇条によつて無効というべきである。

六、被申請人は、仮に本件解雇が申請人らの政治的信条を理由とするものであつたとしても、なお右解雇は有効であるとしてその事由を抗弁として主張するのでこの点について判断する。

(一)  本件会社の存立の条件

既に認定の三の(一)ないし(三)の事実に、<証拠>を併わせ考えると、会社は国交未回復の下で日中間の友好を増進する方法として人事の交流を盛んにする目的の下に分裂前の日中友好協会によつて設立された中国渡航の斡旋を主たる業務とする企業で、同国の国営企業である中国国際旅行社総社との間に特殊な契約を締結してその業務を行つていたものであるから、実際に同国との間に友好関係を存続しなければ企業の存立を全うできず、したがつて同国側の提示した政治三原則、貿易三原則、政経不可分の原則を承認しなければならず、日中友好協会の分裂後は前記諸原則を承認したうえ共同声明の立場に立つて同国の支配的勢力と接触を続けている正統本部を支持し、同国との間に敵対関係を生じた日本共産党および分裂後の日中友好協会との関係を断つことが会社の存立を維持するために必要であり、したがつて右日中友好協会に関する正統本部の政治的イデオロギーの支持が存立の条件となつているものである事実を認めることができる。そして<証拠>によると、現に、会社と同様に中国国際旅行社総社との間に特約を締結して中国渡航の斡旋業を経営していた株式会社富士国際旅行社が前記日中友好協会の分裂に当り同協会に残留し日本共産党との関係を継続したため、昭和四二年四月頃右中国国際旅行社総社から非友好的な行為があつたとの理由で特約を破棄され営業の継続が不能となつている事実が認められるのであつて、このことからしても前記認定の事実を裏付けることができる。申請人らは、会社の事業目的は中国渡航の斡旋業務だけではなく、その他各種の業務を行うことになつているのであるから、仮に日中友好に関し一定のイデオロギーをもたないと中国渡航の斡旋業務を行い得ないとしても、それだけで企業の存立が脅かされるものとはいえない旨主張するので判断するに、<証拠>によると、会社の定款に基づく事業目的は、(1)海外から日本を訪問する者の旅行の斡旋、(2)海外および国内旅行の斡旋、(3)人事往来に伴う施設の経営、(4)日本および中国事情紹介のための文化センターの経営、(5)中国事情紹介のための出版、販売、(6)観光土産品の輸出入、(7)保険の代理業、(8)以上各項に付帯する事業、となつていること、また<証拠>および弁論の全趣旨によると、右各事業目的については(2)のうちの中国旅行の斡旋しか行つていないこと等の事実をそれぞれ認めることができるが、<証拠>ならびに弁論の全趣旨を総合すると、会社はその設立の経緯からして日中両国間の旅行の斡旋が主な業務であるところ、中国から日本への旅行の斡旋は日本国政府が中国人の入国について厳しい制限をするので事実上殆んど不能であるため、中国への旅行の斡旋が主な業務となつており、その成否が会社の死命を制するものであつて、その余の業務については漸次手を延ばす計画ではあるものの創業後日が浅く経営の基礎が十分に固らない昨今これを拡充強化することなど全く不能で、いわんや前記中国旅行の斡旋業務にとつて代わることなどとうてい考えられない状態にあつた事実を認めることができるのであるから、会社としては中国旅行の斡旋業務ができないとなればその存立を脅かされるものというべく、したがつて申請人らの主張はこれを認め得ない。

(二)  申請人らと会社とのイデオロギーの離反

既に認定の三の(一)および(五)の事実に、<証拠>および弁論の全趣旨を併わせ考えると、申請人らは大塚有章を院長とする日中友好学院の卒業生で同人の推薦により日中友好に献身する決意の下に会社に入社した者で、当時既に日中友好協会に入会しており、入社したうえは会社の性格からしても反中国的言動をしたり、また反中国的団体を支持したりすることなどは考えてもいなかつたものであるが、同協会の分裂後は会社と異なり正統本部に所属せず、同協会に残留していること、同協会は日本共産党の対中国路線に同調しているところ、同党は昭和四一年四月宮本書記長の訪中帰国後同国との間に対立状態を生じ、これと離反してその交流についても否定的態度をとり同国から「日中人民の四つの敵」の一つとまできめつけられるに至り、したがつて同協会も同国から厳しく敵視されていること、そして申請人らは同党にも所属していること等の事実を認めることができる。ところで日中友好なるものは、イデオロギーとして正統本部、日中友好協会のいずれの主張するところが正当であるかはともかくとして、現実に中国の支配的勢力と交流をもつているのは正統本部であり、右交流を基礎として本件会社の営業が成立している以上、申請人らが日本共産党に属し日中友好協会に残留することは会社と相反する政治的イデオロギーをもちこれに基づく行動があつたものと認めることができる。

(三)  イデオロギーの相違を理由とする解雇の成否

被申請人は、特定のイデオロギーの承認、支持を存立の条件とする事業を営む自由も当然に認められ、その事業にあつてはイデオロギーが存立の条件であるから、その存立を保持するためには右イデオロギーを否定し破壊しようとするイデオロギーを有する者をその事業から排除することが許されるところ、本件において会社は前記のとおり日中友好に関し一定のイデオロギーを有しその承認、支持を存立の条件とするものであるにもかかわらず、申請人らは右イデオロギーを否定し破壊しようとするイデオロギーを有する者であるから、同人らを解雇することは許される旨主張するので判断するに、憲法一四条および労基法三条によると、使用者が労働者の信条即ちイデオロギーを以て差別的取扱をすることを禁じているものと解することができるから、イデオロギーを以て雇用契約の要素とすることはできず、したがつて使用者が特定のイデオロギーの承認、支持を存立の条件とする事業を営むことは、右承認、支持が使用者側だけの問題であるならば格別、労働者に対してもこれを求めるものである以上、それは雇用契約の要素とせざるを得ないので、許されないものといわなければならない、しかしながら一方憲法二二条によると、国民は公共の福祉に反しない限り営業の自由を認められているのであるから、公共の福祉に反しないものである以上、特定のイデオロギーを存立の条件としかつ労働者に対してもその承認、支持を要求する事業を営むことも認められなければならないのであつて、この二つの相反する憲法上の要請を満たすためには、その事業が特定のイデオロギーと本質的に不可分であり、その承認、支持を存立の条件とし、しかも労働者に対してそのイデオロギーの承認、支持を求めることが事業の本質からみて客観的に妥当である場合に限つて、その存在を認められているものと解すべきである。そしてそれはあくまで事業目的とイデオロギーとの本質的な不可分性にその特徴を求められるべきもので、例えば政党や宗教団体または特定の宗教的政治的イデオロギーの宣伝、布教を目的とする事業等にその例を見られるのであつて、イデオロギーと事業目的との関連性は認められるが、それが本質的に不可分でない事業についてはそのイデオロギーを以て雇用契約の要素としてはならないものというべきである。そしてイデオロギーの承認、支持を存立の条件とする事業において労働者に対してもその承認、支持を求めるものである以上、それは前記のとおり憲法一四条、労基法三条の例外をなすものであるところから、労働者の右資格要件は明確にすべきものであり、個別的雇用契約だけではなく労働協約が少くとも就業規則中の労働条件を定めた部分にこれを明記しなければならないものと解する。これを本件についてみるに、前記(一)で認定したとおり、会社は日中友好を目的とし、しかも特殊な日中関係においてその交流を実現するためには政治三原則、貿易三原則、政経不可分の原則を承認し共同声明を支持して日本共産党および分裂後の日中友好協会との関係を断つべきであるとする政治的イデオロギーを承認、支持するもので、また右承認、支持をその存立の条件としているものと解することができるが、ただ右イデオロギーの承認、支持が事業の目的と本質的に不可分であるものとは認められない。既に認定の三の(一)の事実に、<証拠>および弁論の全趣旨を併わせ考えると、元来会社は分裂前の日中友好協会によつて日中間の人事交流を円滑にし相互理解に基づく友好を目的として設立されたものであるが、同協会より更に大衆的な組織として一党一派に偏せず政治的イデオロギーにかかわりのないことを以てその建前とし、広範な各種株主の出資によつて設立されている営利会社なのであつて、ただ設立当時日本共産党が日中友好とこれを目的とする人事の交流に積極的であつたところから勢い同党員が多くその従業員として雇用されて会社の事業方針に対する協力が事実上実現されていたものであるが、もとより従業員の資格要件として特定の政治的イデオロギーの承認、支持や政党の支持、加入を定めているものではなく、会社としては従業員とは一応かかわりなく、それ自体として、また少くとも経営に関与する役員個人の問題として日中友好に関する一定の政治的イデオロギーの承認、支持を決していたものと認めることができるのであるから、申請人らが会社のイデオロギーと相反するイデオロギーを有する結果となつたとしても、そのことだけで申請人らを解雇することは許されないものというべきである。したがつてこの点に関する被申請人の主張は理由がない。

(四)  イデオロギーに基づく行為による解雇の成否

次に被申請人は、仮に申請人らのイデオロギーが会社の存立の条件となつているイデオロギーと相反しているだけでは同人らを解雇できないとしても、同人らには右イデオロギーに基づく具体的な行動がありその行動によつて会社の存立に明白かつ現在の危害を及ぼしたので同人らを解雇したものであるから、右解雇は有効である旨主張するので判断するに、およそ憲法一四条および労基法三条に各所定の信条中に実践的な志向を有する政治的意見を含むものであることは前記五の(一)、(二)で判示したとおりであるが、右信条が信条として右各法条によつて差別的取扱禁止の保障を受けるのはそれが内心の問題としてとどまる場合においてであつて、右信条に基づく具体的な行動があつた場合には既に右各法条による保障の範囲外の問題として別個の観点から考慮されなくてはならず、右行動によつて事業に明白かつ現在の危害を及ぼすべき具体的危険を発生させたときは、その行動によつて解雇が可能となる場合もあるものということができる。

1  ところで既に六の(二)で認定のとおり、申請人らは日本共産党員であり、かつ分裂後の日中友好協会に所属するものであるから、右政党および団体所属の事実を以て同人らについてその政治的イデオロギーに基づく行動があつたものと認めることができるところ、被申請人は申請人らの右行動によつて関西国貿促その他日中友好を建前とする商社や団体等からの中国渡航の斡旋依頼がなくなり会社の存立が不能となることによつてその存立を脅かされる具体的危険が発生した旨主張するので判断するに、既に三の(三)で認定したとおり、会社はその方針として正統本部の支持を決定しているだけでなく、その役員の構成からしても正統本部とはかなり強度の密着性があるのであつて、このことからして同じく正統本部を支持しこれと深い関係をもつ関西国貿促その他日中友好を建前とする商社、団体等が単なる従業員にすぎない申請人らに前記政党や団体等に所属の行動があつたとしても、ただそれだけで会社への中国渡航の斡旋依頼を全面的にとりやめるなど同社の経営基盤を揺がすような行動に出る恐れがあつたものとはとうてい考えられない。したがつて申請人らの右行動によつて関西国貿促その他の団体、商社等との関係で会社の存立に明白かつ現在の具体的危険が発生したものとは認められない。

2  次に、被申請人は、申請人らの存在によつて中国国際旅行総社から渡航業務取扱の特約を破棄される恐れが強く、そうなれば会社として中国渡航斡旋の業務を行うことはできなくなり会社の存立は不能となる旨主張するので判断するに、既に三の(三)で認定のとおり、会社は中国との国交未回復の状態において希望者が友好的に同国を訪問できるよう同国の国営企業である中国国際旅行社総社と特約を結び同国への旅行についての斡旋業務を行つている企業であるから、同社から右特約を破棄されると業務の遂行は不能となりその存立を脅かされるものであるところ、既に三の(一)ないし(三)および六の(一)で認定の事実によると、日中間の交流は分裂前の日中友好協会と中日友好協会との間で昭和四一年一〇月一二日に調印発表された共同声明を支持することによつて可能で、右共同声明に反対し中国の現支配勢力と敵対関係にある日本共産党および分裂後の日中友好協会に所属するときは中国から反中国団体に属し反中国活動をするものとして、一切の関係を断たれる恐れがあるものと認められ、また六の(一)で認定したとおり、現実に中国国際旅行社総社との間に特約を締結して会社と同じく中国渡航の斡旋業を営んでいた株式会社富士国際旅行社が日中友好協会の分裂に当り同協会に残留し日本共産党との関係を継続したため右中国国際旅行社総社から非友好的行為があつたとの理由で特約を破棄され営業が不能の状態となつた事実も認められるのであるから、本件会社においても、会社自体が、またその経営権を掌握している主要役員らが分裂後の日中友好協会に残留し日本共産党との関係を継続した場合には同じく中国国際旅行社総社から特約を破棄されることは十分に考えられるのであるが、単なる末端の従業員にすぎない申請人らが同党員であり同協会に残留するからといつて、そのことだけで同社から特約を破棄される状況にあつたものとは考えられない。富士国際旅行社の場合はまさに経営首脳部が日本共産党員として日中友好協会に残留し会社そのものが同党および同協会のイデオロギーを支持した場合に当るものであるから、本件の場合とは事実の内容に本質的な相違があるものといわねばならない。結局申請人らの前記行動を以てしては、中国国際旅行社総社との関係においても、具体的な危険は発生していないものと認めることができる。よつてこの点に関する被申請人の主張は理由がない。

してみると、被申請人が申請人らの日本共産党および日中友好協会所属の事実によつて会社の存立に具体的危険が発生したとの事実を前提とする主張はこれを認めることができない。

七以上、被申請人の抗弁はすべて理由がなく、申請人らの主張について既に認定したところによると、会社が申請人らに対してなした本件解雇は同人らの政治的信条を理由とするもので無効というべきであるから、申請人らは昭和四二年三月二七日以降においても会社の従業員としての地位を有すること、したがつてその就労を拒否されることにより会社から同日以降賃金の支払を受けるべき権利を有することが一応認められるところ、<証拠>によると、申請人らの本件解雇前三カ月間に支払われた賃金の合計額は、申請人吉村につき金七万七、一九六円、申請人保母につき金七万六、五二四円であるから、その間申請人らが支払を受けた賃金の一カ月当りの平均額は、申請人吉村につき金二万五、七三二円、申請人保母につき金二万五、五〇八円であること、および右賃金は毎月二〇日締切で計算されること等の事実を認めることができ、右賃金が毎月二五日に支払われていたことは当事者間に争いがないから、申請人らは被申請人から昭和四二年三月二七日以降それぞれ一カ月右各金額の割合による賃金を前月二一日から当月二〇日までの分につき毎月二五日に支払を受けるべき権利を有するものと一応認めることができる。申請人らは右賃金の平均月額を算出するにつき解雇前六カ月を対象とすべき旨主張するが、解雇当時に妥当する賃金の平均月額を算出するについて余り長期間を対象にすることは適当でなく、労基法一二条の趣旨を参酌して解雇前三カ月を対象とすべきものと考えるので、右主張は採用しない。ところで<証拠>および弁論の全趣旨によると、申請人らはいずれも会社から受ける賃金を唯一の収入として生活してきた者で、本件解雇後結婚し、配偶者においていずれもなにがしかの収入は得ているがそれによつて申請人らの生活まで支えるに足るものではなく、その他には資産収入もないので、本件解雇によつて賃金が支払われないことにより申請人らおよびその結婚後は一家の生活に著しい支障を生じ、本案判決の確定に至るまでの間このままの状態で推移すると回復し難い損害を生ずる恐れがあるものと一応認められるので、本案判決確定に至るまで申請人らが会社の従業員としての地位にあることを仮に定め、会社に対し前記賃金の仮払を命ずる必要があるものということができる。

八そうだとすると、被申請人は、本案判決確定に至るまで、申請人らをいずれもその従業員として仮に取扱い、かつ昭和四二年三月二七日から申請人吉村に対しては一カ月金二万五、七三二円の、申請人保母に対しては一カ月金二万五、五〇八円の各割合による金員を、いずれも前月二一日から当月二〇日までの分につき毎月二五日限り仮に支払うべきものであるから、申請人らの本件申請については、右限度においてはこれを正当とし保証を立てさせないで認容すべく、その余は失当として却下すべきものとし、訴費訟用の負担につき民事訴訟法九二条、八九条を適用して主文のとおり判決する。(高田政彦 大橋英夫 川畑耕平)

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